第134回 33年前の新百合ヶ丘駅界隈 その2 昭和59年

前回から引き続き1984年の新百合ヶ丘駅界隈で撮影した小田急線の写真をお送りします。
柿生駅側の上り線付近で撮影を続けていましたが、当時は駅周辺の店舗や住宅は皆無といっていいも状態だったので、ひとけのない線路際での撮影は手持ちぶさた感じになりそうな気もしますが、ひっきりなしに列車が来るので以外と退屈はしませんでした。


小田急小田原線 柿生駅〜新百合ヶ丘間 営団6000系
1984新百合ケ丘_06
◆ 撮影日:1984/08 OLYMPUS TRIP 35 D.Zuiko 1:2.8 f=40mm/Nikon COOLSCAN IV ED

さてこちらは1978年に営団地下鉄千代田線との直通運転開始以来小田急線内を走っていた営団6000系です。
アイボリーにブルーの帯で統一されていた小田急車両の中にあって、異色のオールステンレス無塗装のボディは近未来感があって目立つ存在でした。
ただその外観とは裏腹に非冷房というところも特徴的でしたね。


小田急多摩線 新百合ヶ丘〜五月台駅間 2400形
1984新百合ケ丘_07
◆ 撮影日:1984/08 OLYMPUS TRIP 35 D.Zuiko 1:2.8 f=40mm/Nikon COOLSCAN IV ED

こちらは同じ場所から多摩線の2400形です。
この年に2200形が全廃されたあと唯一残る中型車として多摩線で運用されることが多くを占めるようになりました。
今でこそ特急や急行が走る多摩線ですが、当時は無人駅があったり日中四本程度の運行本数ということもあり四両編成の中型車でも十分だったようです。


小田急小田原線 新百合ヶ丘駅 急行新宿行き 5200形
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◆ 撮影日:1984/08 OLYMPUS TRIP 35 D.Zuiko 1:2.8 f=40mm/Nikon COOLSCAN IV ED

少し移動して下り線側から新百合ヶ丘駅の様子を撮影。
今はフットサル場や駐車場があるあたりでしょうか。
向こう側の空き地はビブレやイオンが入るビルが建っている場所ですね。
バスロータリーを囲むように設置されているデッキが見えます。


小田急小田原線 新百合ヶ丘駅〜柿生駅間 急行箱根湯本・江ノ島行き 8000形
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◆ 撮影日:1984/08 OLYMPUS TRIP 35 D.Zuiko 1:2.8 f=40mm/Nikon COOLSCAN IV ED

同じ位置から振り返って柿生方面です。
ご覧の通り草ぼうぼうの空き地なので線路際までたどり着くのが大変でしたが間近に列車を見ることができる特等席といったところ。

この辺りでここでの撮影は終了。
この時はほとんど使われていなかった駅南口方面に移動してみます。


新百合ヶ丘 カマキリの像「ふるさとの詩」
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◆ 撮影日:1984/08 OLYMPUS TRIP 35 D.Zuiko 1:2.8 f=40mm/Nikon COOLSCAN IV ED

南口から伸びるデッキ上に設置されたカマキリの像「ふるさとの詩」。
まだバス停もない時代で、王禅寺方面への通行人くらいしか通らない場所でしたが、この像だけはやたら目立っていた印象です。
ちなみに今はこの像の背後の方向には新百合ヶ丘エルミロードが建っていますね。

今回はここまで。
次回は北口方面へ移動して撮影した写真を掲載してみたいと思います。


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コメント 2

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ダイヤモンド☆トナカイ  

No title

いつも素敵なお写真のご提供ありがとうございます。
非常に貴重な新百合界隈のこの風景は、恐らく平成生まれの「坊や」には信じられない事でしょう。私は中学生くらいの頃は東京に向かう時国鉄の約半額くらいの運賃で行ける小田急を頻繁に利用していたので懐かしさ満開です。「東戸塚」とともに新百合は非常に印象深い駅でした。近年では新百合の場合は勤務先として毎日のように通ってましたのでその変貌ぶりに最初は驚きました。現在は転勤して別の場所ですが、新百合は現在も更に進化しているのでしょうか。昔はホームから見える「マイカル」の文字もかなり印象的でしたが、勤務先の方に昔の事を聞いたら、昔は百合ケ丘が大都会だったらしいです!最近では新百合もロマンスカーも停車するようになり、完全に小田急を代表する駅に成長しましたね。

2018/01/30 (Tue) 20:09
すんや

すんや  

ダイヤモンド☆トナカイさま

コメントありがとうございます。
このころの新百合ヶ丘駅周辺の景色は記憶に残っている方も多いと思いますので、時間をおいて訪問された方には現在の変わりように驚くことでしょう。
私には比較的身近な存在だった新百合ヶ丘駅だったため、開業以来変貌し続ける様を見続けることができました。
今でこそ小田急を代表する駅の一つとなりましたが、80年代から90年代にかけては登戸・向ケ丘遊園と町田に挟まれ何もない野っ原というイメージしかなく、駅前の開発なんて自分が生きてるうちに完成しないんじゃないか?と思った時期もありましたよ。
新百合ヶ丘の発展に伴って百合ヶ丘や向ケ丘遊園の活気が減少していく様子に少し寂しさを感じたりもしますね。
駅周辺の宅地開発もそろそろし尽くしたというところですが、多摩線沿線の人口も増加傾向でしょうししばらくは安泰かもしれません。

2018/01/31 (Wed) 19:18

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