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第155回 東関東撮影旅行2004 「日立電鉄編」 その1  平成16年

今回から「東関東撮影旅行2004」と題して数回にわたって新たなシリーズを始めたいと思います。この数年前から遠ざかっていた写真撮影を再開し、旧友との数日間に渡る初の撮影旅行にあたって選んだ場所は茨城・千葉と福島南部を含む東関東の海岸沿いの地域。
それまで訪れたことのなかった未知の世界はどのような風景を見せてくれるのでしょうか。
※今回からレスポンシブデザインへの変更に伴い画像を高解像度化しましたので、PCで閲覧の方は画像をクリックしてみてください




2004年の正月が終わる間際のある日、まずは常磐道で行けるところまで行ってみようということで当時の終点である広野ICへ。
初日は移動だけでほとんどの時間を使ってしまったため周辺の様子を見つついわき市の「平」まで戻りその日の宿をとることとなりました。
(かつて自動車免許取得のため合宿免許の地としてここ「平」へやってきたことがありましたが、当時「平駅」だった駅名が「いわき駅」に変わっていました)


常磐線新鮎川踏切を通過する常磐線415系普通列車
200401_常磐線新鮎川踏切を通過する常磐線列車
◆ 撮影日:2004/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 20mm F2.8D

一夜明けていよいよ撮影旅行の始まりです。
海岸線を南下する形で小名浜の港や勿来の関、日立の街並みを見つつ最初にやってきたのはここ、今はなき日立電鉄の終着駅「鮎川駅」です。
この撮影旅行の翌年、2005年4月1日に廃止された茨城県の地方私鉄でしたが、その時は廃止されることは知らずの訪問でした。
個人的には当時地方私鉄王国と言われたこの地域の地方私鉄をできるだけ巡ってみる、というテーマを持っていたため同行の友人の同意を元に訪れたという訳です。

またこの頃、「終着駅の終端部を記録する」というテーマを持っていたため、まずは鮎川駅の終端部へやってきました。
お隣を高速で通過していく常磐線普通列車とは対照的に、地方私鉄独特ののんびりした雰囲気の留置線には日立電鉄線の列車が留まっていました。


常磐線新鮎川踏切から見る日立電鉄鮎川駅の終端部
200401_常磐線新鮎川踏切北側
◆ 撮影日:2004/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 20mm F2.8D

同じ場所から振り返ってみると終着駅なのに線路はさらに続いている雰囲気。
かつて常磐線の日立駅まで延伸する計画があったと聞きましたがそれも果たせず、一時期はこの線路を留置線として使用していた時期もあったとのことです。


日立電鉄 鮎川駅構内に留置されていた3000形車両
200401_日立電鉄鮎川駅構内の3000形と2000形
◆ 撮影日:2004/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 180mm F2.8S

新鮎川踏切から鮎川駅構内を眺めてみると、いかにも旧塗装と思われる列車が留置されています。
当時事前調査もせずなんの知識のない状態での訪問だったので廃車になった旧型車両か何かだと思っていましたが、後にかつて営団地下鉄銀座線で活躍した2000形車両を両運転台化改造した3000形電車だということがわかりました。
後方に控える赤い車両は2両1編成を組む2000形電車でこちらは主力として活躍していた車両らしいです。


日立電鉄 鮎川駅駅舎
200401_日立電鉄鮎川駅駅舎
◆ 撮影日:2004/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 28mm F2.8D

終端部での撮影を終え鮎川駅へやってきました。
今となっては翌年の廃止を知るわけでもなかった当時、外観のみの撮影で駅舎内をくわしく観察することもなかったことを悔む結果となることに。
切符の一枚でも買っておけばよかったです。
とはいえたった一枚でも駅舎外観の写真を撮影していた自分を褒めてやりたい気分です。(笑)


日立電鉄鮎川駅 常北太田行き2000形普通列車
200401_日立電鉄鮎川駅2番線に停車中の2000形
◆ 撮影日:2004/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 180mm F2.8S

駅近くの踏切付近から発車を待つ常北太田行き2000形電車を望遠レンズで捉えます。
昼過ぎの時間帯とはいえ長い影が太陽が低い冬場特有の光景を表していますね。
誰もいないのんびりした時間が流れています。


日立電鉄鮎川駅 鮎川駅へ到着する2000形普通列車
200401_日立電鉄鮎川駅に到着する2000形列車
◆ 撮影日:2004/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 28mm F2.8D

引き続き周囲の様子を撮影していると踏切の警報機が鳴り出し列車がやってきました。
色あせた車体の所々がまだらに修復塗装された様は、鉄道事業の経営が必ずしも順調ではなかった証だったのかもしれません。

到着した列車からはひとりふたりの乗客が下車し、人々で駅前が賑わうこともなく再びノンビリした時間に戻ります。
他所を撮影していた友人とこの辺りで一旦合流。
続いては地図で気になっていた海辺の方へ向かってみよう・・・

というところで今回はここまで。
次回も日立電鉄線の写真の続きをお送りしたいと思います。


第154回 きっぷコレクション その6 「東京駅開業70周年記念入場券」 昭和59年

第154回はシリーズ「きっぷコレクション」から「東京駅開業70周年記念入場券」をお送りします。
国鉄時代の昭和59年(1984年)12月20日、タイトル通り開業70周年を迎える東京駅の記念入場券として発売されたものですが、よくある短冊形の絵入り記念きっぷと違ったある特徴がありました。

筒状の収納袋に入った「東京駅開業70周年記念入場券」
収納袋に入った東京駅開業70周年記念入場券
収納袋には「東京駅開業70周年記念」「国鉄東京南鉄道管理局」の記載

販売形態は写真のような筒状のビニールの収納袋に入ったポスターのような状態。
直径は約60mm、長さは約305mmという購入後保管に気を使う微妙なサイズで、実際持て余し気味でアルバムに入れられる訳もなく約35年に渡って放置していたものでした。


「東京駅開業70周年記念入場券」おもて面 S59.12.20
東京駅開業70周年記念切符_表
◆ EPSON GT-X800でスキャン (※画像をクリックすると原寸大画像がご覧になれます)

しばらくぶりに収納袋から出した記念入場券は経年によるシミや折れがあり筒状に保管していた影響か平面性が失われ若干残念な状態に。
広げてみるとサイズは約780mm x 255mmという横長のポスターのような状態で、当時日本一大きい記念きっぷとして話題になったようです。
全面に渡って開業当時の東京駅を描いたまさに絵巻物のような形で、右下には「東京驛開業當時之圖」(東京駅開業当時の図)と記され、左側には大人普通入場券(120円)x4枚+子供普通入場券(60円)x2枚がセットされ額面は600円となっています。(販売価格が600円だったか定かではありません)
昭和59年12月1日の日付が印刷されているのでこの日から発売になったのでしょう。
(昭和60年1月10日までの間に一回限り有効)


「東京駅開業70周年記念入場券」うら面 S59.12.20
東京駅開業70周年記念切符_裏
◆ EPSON GT-X800でスキャン (※画像をクリックすると原寸大画像がご覧になれます)

裏面はというと、東京駅開業の大正3年12月20日(1914年)から70周年を迎える昭和59年12月20日(1984年)までの「東京駅の歴史」「おもな出来事」「歴代駅長」をまとめた年表とそれに関する5枚の写真で構成されています。

東京駅のあらまし

 緑濃き常磐の松と、美しい皇居に向かって、「ルネッサンス式」赤レンガの東京駅が三菱ヶ原に出現してから70年の歳月が経った。
 この間、関東大震災、戦災、戦後の復興期、八重洲側本館の完成、新幹線時代の幕開け、地下駅の開業などがあった。異国情緒的で美しかったシンボルのドームは失ったが、東京駅は今も「国鉄の顔」として、1日約2,700本の列車の発着と約140万人の方々にご利用いただいている。



引用した「東京駅のあらまし」にあるとおり、戦災によって失われた特徴的なドームは再建されず、3階建てだった駅本屋は昭和22年3月に2階立てとして復元。
この記念入場券を購入した当時も開業時の姿に復元すべしといった意見もちらほら聞いた気もしますが、赤字が問題視されていた当時の国鉄では復元は無理だろうというのが大半の意見だったと思います。

しかし国鉄からJR東日本へ継承された東京駅は、その後の平成19年(2007年)5月から約5年の歳月をかけて平成24年(2012年)10月に創建当時の姿に復元されたのはみなさんご存知のところですね。
この記念きっぷを購入した当時はこんな時が来るとは想像もできませんでしたから大変驚いたものです。



さて、今回公開した「東京駅開業70周年記念入場券」ですが、上に掲載した「おもて・うら」の画像をクリックしていただくと150dpiの原寸大画像をご覧いただくことができます。(透かし入りです)
横幅78cmにもなる大きな印刷物を原寸大でデジタイズするというと、専門のスキャン業者に大サイズスキャンしてもらうというのが品質面では有利となりますが、さすがにブログ掲載程度の目的でそんな大金を使うことはできません。
デジタルカメラで撮影するといった方法も考えられますが、周辺減光や歪み、解像度が足りないことを考えると選択肢からは外れますね。

で、今回はどのようにして原寸大デジタル画像を作ったか?というと、手持ちのA4スキャナーで一枚あたり5分割してスキャン、フォトショップで合成処理をするという手段を使いました。
各画像バラバラな角度を調整したり、分割スキャンした各画像の両端の色味が若干変化することもあり合成処理に手間がかかるため誰にでも簡単にできる作業ではなく、一枚ものとしてスキャンしたデータに比べれば品質面で劣る部分があるのは仕方なしといったところ。
高解像度での処理が必要な印刷物なら別ですが、Webでの掲載に使うならこの程度の品質でも十分でしょう。



ちなみにこの記念入場券はいつ買ったのか?記憶が定かではありませんでしたが、過去のブログ記事を探してみると、
第18回 国電フリー乗車券で撮り鉄 上野駅ほか 昭和59年」の回が昭和59年12月9日だったようで、国電フリー乗車券にどれだけ鋏を入れられるかチャレンジをした時だったようですね。

国電フリーきっぷ591209表
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第153回 2003年の大崩海岸 旧石部隧道 その2 平成15年

前回に引き続き2003年の正月に訪問した、静岡県の大崩海岸「旧石部隧道」の様子です。
正月早々の曇天の早朝に訪れた大崩海岸。
この時の訪問では友人との二人での訪問でしたが当時足を負傷していた友人は車に残り、一人での撮影は不安感の漂うものでした。


静岡県静岡市 大崩海岸 崩壊した東海道本線旧線路盤跡
200301大崩海岸_07
◆ 撮影日:2003/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 20mm F2.8D

半分崩れ落ちた旧石部隧道の抗口を後にして、ほぼ消失しかかった旧路盤跡の中間地点までやってきました。
見えている範囲の波打ち際まで路盤があったと思われますが、数十年のうちに数メートルの高さがあったであろう路盤は波に削り取られてしまったようです。


静岡県静岡市 大崩海岸 崩壊した東海道本線旧線路盤跡
200301大崩海岸_08
◆ 撮影日:2003/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 50mm F1.4D

さらに進んでみると崩れ落ちた法面のコンクリートの塊が見えてきました。
まだかろうじて残っている路盤より上側の法面も、崩れ落ちてくるのは時間の問題なのでしょう。
こんな姿を前にしてしまうとこれより先に一人で進むのは危険と判断。
引き返すことにしました。


静岡県静岡市 大崩海岸 崩壊した東海道本線旧線路盤跡
200301大崩海岸_09
◆ 撮影日:2003/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 20mm F2.8D

振り返ってここまでの道のりを見てみます。
これだけの巨大な石垣やコンクリートの塊を崩壊させる波の力を見せつけられると不安感しかありません。
早朝の曇天模様がそれを助長させ、足早に撮影をしつつの撤退となりました。


静岡県静岡市 大崩海岸 崩壊した旧石部隧道抗口
200301大崩海岸_10
◆ 撮影日:2003/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 85mm F1.8D

よく見る構図で撮影した旧石部隧道の抗口。
こうやってみると崩れた路盤上に育った木の高さからも長い年月を経てきたことで、それなりの高さがあった路盤が波による侵食で綺麗さっぱり洗い流されているのがよくわかります。


静岡県静岡市 大崩海岸 崩壊した東海道本線旧線路盤跡から見る伊豆半島
200301大崩海岸_11
◆ 撮影日:2003/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 85mm F1.8D

帰り際にふと海の方を見てみると、はっきりしなかった西伊豆の山並みがシルエットで見えてきました。
晴れた日中ならまた違ったイメージに見えるんでしょうが、このシチュエーションではそんな呑気なことは言ってられません。
この時のそんな感情がこのコマを撮影させた動機だったのでしょう。


静岡県静岡市 大崩海岸 東海道本線 旧石部隧道付近
200301大崩海岸_12
◆ 撮影日:2003/01 Nikon F5 AiAF Nikkor 85mm F1.8D

ここまで戻ってようやく旧石部隧道の後ろに目指す海上橋が見えてきました。
駿河湾とはいえ、太平洋に面した外海なんですよね。
普段東京湾ぐらいしか見ることのない地域に住んでるため、外海はなんとなく怖いイメージあるし、ましてや逃げ場所のない断崖絶壁ですから恐怖心しかありません。
開通当時は今と違って路盤から続く砂浜も広かったんでしょうが、それにしても外海の波に直接洗われる環境の場所に日本の大動脈ともいえる東海道本線を通すのは大それた事と言えそうです。
結果今現在(2003年当時)の姿がこうなんですからねぇ。
然もありなんといったところでしょうか。

狭い波打ち際を足早に通り抜け、友人の待つ車に戻った時は「無事に戻るという責任」を果たした安心感でいっぱいでしたが、一つ間違えば大事になりかねない撮影というのは考えものだなと感じました。
この地のこの時の様子をフィルムに収められたのは満足すべきことですが。


その後は大崩海岸沿いの(当時の)国道150号を焼津まで往復してみたり、教科書で見たことのある登呂遺跡を訪問してみたり、久能山下の海沿いを走ってみたり。
終日曇天模様だったためか、晴れやかな気持ちになることのない、どんよりした撮影旅となった記憶が残ることとなりました。


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